無用の長物か?いいえ、道路元標はロマンの塊!

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1.  はじめに

わたしは、愛知県岩倉市で観光まちづくり事業を企画・運営する「NPO法人いわくら観光振興会」で働いています。岩倉市は、愛知県の北西部、西尾張地区にあり、市のほぼ中心を流れる五条川は日本の「さくら名所100選」に選ばれたお花見処で、毎年春に行われる“岩倉桜まつり”が有名です。そんな五条川の桜のように、すでに観光地として認識されているような名所に行くことだけが観光ではないという考えから、日々まちの新しい観光資源を探しています。
今回は、【石に刻まれたモノを見ると、事柄だけでなく、背景も見えてくる。】第2弾です。
 

2.  石が呼ぶ(?)道路元標

以前、市内の神社「神明太一社」の鳥居跡を示す石柱を題材にしたコラムを書きました。
・人は昔から、石に様々な事を記録してきた。
・実は、普段生活している身近なところにも、たくさんの石造物が残っていて、調べてみると、非常におもしろい。
という内容を書きましたが、今回はその第2弾で、テーマは「道路元標」です。

写真:岩倉町道路元標

道路元標?手垢つきまくってんじゃん!と思った方もいるでしょう。そう、道路元標って、マニアが各地にいらっしゃいますよね。道路元標には、人を沼らせる不思議なチカラがあるのではないでしょうか・・・?
それはさておき、まずは道路元標とは一体何なのか?という説明から。
 
大正8年(1919)に、道路法施行令が公布され、市町村単位での道路の起点・終点および町村の位置を示す指標として、道路元標の設置が義務付けられました。
この公布に基づき大正9年以降に各市町村によって設置されたものが道路元標です。
個々の道路元標の設置場所は国が指定したのではなく、各市町村の裁量に任されていました。基準となるものなので、所在がはっきりとする場所、人の往来が多く、人目に付きやすいところ主に道路の脇などに設置されました。
しかし、昭和28年(1953)に施行された町村合併促進法によって、旧町村が統合・合併し、旧町村の道路元標が必要無くなってしまいます。
また、同じ年には道路法も改正され、道路元標の設置・保守義務は無くなってしまい、道路の拡張工事などの際に、廃棄処分されてしまったり、元あった場所から移築して資料として残されたりしたものも多いのだそうです。
 
道路元標には残っているモノもあれば、行方知らずなモノもある。さらに、昔から今の場所に立ち続けているとは限りません。以上を踏まえて、現代に残る道路元標を以下の6つのタイプに“勝手に”分類します。

①   お認め・現地居住タイプ
自治体などがその存在と功績を認め、保存している。なんなら解説看板がある。ほぼ元の場所にある。
 
②   お認め・お引っ越しタイプ  
①   の状態だが、元の場所ではなく保存しやすい場所に移動させられている。
 
③   改造タイプ
本来の目的以外に使用されている。(例:地蔵の台座、道路の一部)
 
④   風景溶け込みタイプ
本来あった場所、またはその近くに残されている。時の流れに身を任せながらも元あった姿に近い状態で現存している。
 
⑤   風景溶け込み風化タイプ
本来あった場所、またはその近くに残されている。時の流れに身を任せすぎて、雑に扱われがち。そんな場所に?というところに置かれていたり、ちょっと傾いていたりする。
 
⑥   星屑タイプ
いったい何があったのか?残骸のようなものが残る。こんな状態にしておくなら撤去すれば?と思わせるほどだが、それもまた歴史の1ページなのだ。

3.  岩倉市に残る道路元標「岩倉町道路元標」

では、岩倉市にある道路元標はどうでしょうか?
まず、道路元標現在の位置ですが、岩倉市商工会館の入り口、道路沿いの神明太一神社側のあたりにあります。

地図上の赤い印のついているところが元標の場所です。

丸のついているところが、道路元標です。

道路元標のあるこの通りは「岩倉街道」といわれる道で、現在の清須市から犬山市までを結ぶ道路です。かつては名古屋城下から岩倉へ、さらに犬山に通じる道として栄えていました。岩倉市商工会館周りだけでいえば、多くは民家やマンション、駐車場などが今は並びます。岩倉市に残る道路元標は一体どのタイプなのか?!ここは昔、どんな場所だったかを紐解く必要がありそうです。
 
まず「公布に基づき大正9年以降に各市町村によって設置された」という点から、大正9年前後、この場所がどんなところだったかを見ていきます。
2021年12月、岩倉市は市制50周年を迎え、市の50年の歴史を振り返る事業がいくつか展開されていました。その中で、昔は今の岩倉市商工会館のところあたりに郵便局と派出所があったという話を何度か耳にしていたので、それをヒントに調べていくことに。
 
「郵便局」から歴史を見ていくと
 
明治  9年 岩倉村中市場231にあった 
明治14年  字西出口16に移動
明治36年  西出口70-1に移動
大正12年 下市場111-2
昭和16年 大字岩倉字西出口30-1 に移動している
以上のことが分かりました。(※岩倉町史より)

現商工会の住所が 岩倉市中本町西出口31-1 なので、昭和16年の郵便局の住所は位置的にほぼその位置であることが分かります。(正確には商工会となりの駐車場になっている土地かもしれません。)
時系列でみると大正9年前後にはまだ移転していないことになるので、元標がみんなの利用する郵便局があるから建てた?という私の1つの仮説は崩れることに。
 
ではもう1つの説 「派出所」。
 
岩倉町警部補派出所は
大正10年 大字岩倉字西出口31 にあったとのこと。(※岩倉町史より)
 
時期的にも、住所もほぼ近いので
・街道沿いであること
・岩倉町警部補派出所の前であること
から、岩倉町の道路元標はここに建てられたのでは?と考えました。
 
あくまでも推測した理由なので、実は今あるものが移動させられた元標かもしれないし、他の理由があったかもしれませんが、わたしは岩倉市の道路元標を、④ 風景溶け込みタイプに分類することにしました!
 
 
気になったので、近隣市町の道路元標も訪ねてみました。
 
【一宮市道路元標/一宮市】

写真:左は現在の一宮市道路元標・右は以前のもの。一宮市役所提供

①   お認め・現地居住タイプ。紆余曲折あって令和元年より現在の位置に設置された。解説の碑あり。その前(平成15年~)は、なんと地面に埋められていた。今は花壇の中にあるので、季節ごとの装いも楽しめる。一宮の名所、真清田神社前にあるので、お参りする際はぜひ立ち寄っていただきたい。

【古知野町道路元標/江南市】

写真:古知野町道路元標/江南市

④   風景溶け込みタイプ かな?商店街にひっそり佇むが、事故から守るためのポールが物々しい。内輪差で倒された過去でもあるのだろうか?変色具合がとても良い。

【草井町道路元標/江南市】

写真:草井町道路元標/江南市

⑤風景溶け込み風化タイプ。江南市草井支所内にある。昔からこのあたり(近い位置)にあったとのこと。電柱とネットと柵に囲まれた絶妙な位置!カラス除けのネットに存在感を奪われている。元標の上にのっている黒い物はバッテリー。回収されず置いて行かれたか?

4.  まとめ 役目が終わった今、元標が教えてくれること

昭和の激動の時代、道路元標はその役目をひっそりと終えました。残されるもの、移動させられるもの、その行方が知れないもの、色々ですが、どの元標も人々にまちの存在を示し伝えてきました。わたしたちは、その痕跡を探し、知ることで、まちの歴史や人々の生活の移り変わりを感じることができます。
わたしは道路元標を無用の長物として捉えるのではなく、まちの歩みを伝える貴重な歴史遺産として後世に残したいと考えます。道路元標は、岩倉市に限らずどのまちでも、観光のエッセンスとして、一役買ってくれると思っています。

この記事を書いた人
木村さや香

NPO法人いわくら観光振興会
人事教育長/イベント企画制作
1986年生まれ。岩倉市在住。1児の母。岩倉市PR大使い~わくんのアテンド"鯉のぼり恋子 "としても活動。「観光資源は自分たちでつくることができる」をコンセプトに、市内の農家や商店、消費者をつなぐ企画を提案している。

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